国税局の人たちはお酒が大好きです。税務署に勤務しているときは、毎日のように駅前の居酒屋に飲みにいきます。一部には、若い子を隣に座らせて説教するのが大好きな上席がいます。
真面目な新人は、上席の説教をずっと聞いています。それが正しいことだと、正解だと思っているからです。
でもそうすると、上席の説教は止まりません。どんどんイライラして声が大きくなっていきます。上席は、アドバイスをして頼ってもらいたいのであって、説教がしたいわけではありません。だから、ただ聞いているだけのロボットを不快に感じます。
だから、的確なタイミングで比喩を言ったり、褒めたり、質問をしたりしないといけない。真面目にただ聞き続けるのは、最も愚かな行為なのです。
現役職員のときに、上席の話を愚鈍に聞かずに茶々を入れていたぼくは、上司を誘って飲み会を開くこともありました。
今でも鮮明に覚えているのは、同期3人と普通科の先輩4人、そして署長、副署長、総務課長を招いた会です。
当時、勤務時間は17時15分まででした。若手はカギ当番などの雑務があるので、定時に上がるのは難しい。駅前の居酒屋まで徒歩5分ですが、18時開始としました。書庫のカギを閉め、上席や統括に挨拶をし、急いでお店に向かいます。お店は普段、職員が使わない、かつ個室のある居酒屋にしました。会食中に挨拶や闖入があると妨げになると判断してのことです。
ぼくがお店に到着したのは17時45分。15分前でした。店員さんが通してくれた部屋には、署長、副署長、総務課長が綺麗に鎮座していました。
なんてばつの悪い。彼らは偉いので、当然のように遅れてくると考えていました。まさか、15分以上早く来るなんて。よっぽどこの会を愉しみにしてくれていたのでしょう。総務課長はともかく、署長と副署長は仕事が無いので、いくらでも早く来ることができるのです。
ひとつ勉強になりました。
会は大いに盛り上がりました。齢50を超えた三役は、若い子と喋ることに飢えています。それは女の子に限らず、ぼくみたいな男の子でも構わないようでした。いまのぼくですら、大学生くらいの若い子と喋るとエネルギーがもらえます。三役はぼくらに、希望や未来を見たのではないでしょうか。
国税局のよいしょトークは「むかし出した、大きな増差はなんですか」が基本です。自慢話に分類されるので、自分からは言い出しづらい。ただ、聞くと喜んで話してくれます。ただの自慢話ではなく、そこにはノウハウが詰まっているので、新人には貴重な情報です。お互いがウィンウィンになれるのが、税務調査の自慢話なのです。
査察にいたときさ、3日徹夜してるのよ。眠いんだけど、内偵が続いてて、やることたくさんあるしさ。でも、結果が出ると嬉しいんだよね。逮捕されて、証拠が集まったとき、嬉しいもんね。もしかしたら、空振りなんじゃないかってどきどきしてたもんね。結果が出ると、いい歳して飛び上がるもんね
そういう話を、一度も目を切らずに聞き続けて、署長や副署長にハマっていくのが新人の仕事だとぼくは思います。上手に話を聞く能力は、どんな仕事でも生きてくる。そのときの修行が、いまのぼくに活かされています。
1年目のときに、フロアの異なる他部門の先輩に質問しに行ったことがあります。たったひとつのなんてことのない質問でしたが、今でも忘れません。
ぼくが窓口対応をしていたとき、納税者の方がやってきてこう言いました。
ことし、個人事業者から法人成りしたんですが、個人の確定申告ってどうしたらいいんですか
当時のぼくには、この質問に対しどのような回答が適切か分かりませんでした。大変お恥ずかしい。研修が終わって3ヶ月ほどの職員のレベルは、その程度なのです。もちろん、今なら即答できます。「ことし、個j…」くらいで「△□○□!」と答えられるかもしれません。
納税者の方は、即答できなかったぼくに優しく微笑んで「調べるから大丈夫」と帰っていきました。ぼくは至極残念な気持ちになり、階段を降りて1年上の先輩を頼ります。納税者の方から頂戴した質問を、そのまま先輩に届けました。先輩は「あー」とか「うー」とか言って、泡を吹いて消えてしまいました。新人のぼくが気軽に質問できるということは、とてつもなく仲が良いか、おっとりした優しそうなタイプかのどちらかで、先輩は後者でした。
いなくなってしまった先輩のいた場所を見つめて呆然としていると、話を聞いていたそのフロアの上席が答えてくれました。
個人事業者として得ていた収入は事業所得で、法人成りをして役員給与をもらうようになったのなら、そこからは給与所得だから、1年分を合わせて申告するんだよ
そう言いながら、布袋寅泰のように髪の毛をツンツンに立てた金髪の上席は、泡を吹いて消えた先輩を捕まえて席に座らせ、「どうしてそんなことも答えられないんだ」と怒鳴っていました。
今のぼくも同じことを思います。1年以上現場にいて、どうしてそんなことも分からないんだ。ただ、2年目の職員は世間的にはまだまだ新人です。答えられないこともあるかもしれません。後輩に質問された経験が初めてだったので、動揺して答えられなかっただけかもしれません。金髪の上席が隣で聞いているのに気づいていて、正常な思考ができなかっただけかもしれません。
そんなぽわーっとした先輩より、金髪の上席のことが気になります。
どうして、この人は金髪なのだろう。統括やサブは何も言わないのだろうか。この上席は、ぼくには優しかったけれど、ぽわーっとした先輩には厳しいようだった。きっと、調査先とも揉めることがあるだろう。間違っていると思えば、上司にも強く意見するだろう。いや、意見どころか、説教くらいならするかもしれない。大人しい統括官ならタジタジだ。なにせ、相手は金髪なのである。勉強一筋の国家公務員にとって、金髪は不良の象徴だ。普遍的に恐ろしいものなのだ。神や悪魔と同じ畏怖の対象で、崇めることはあっても近づいてはならない。おそらく、この人はおどおどした人間が嫌いだろう。ぼくは、新人としての可愛げだけを見せるように心がけねばならない。
ありがとうございます! とーっても勉強になりました
深く頭を下げて、ぼくはその場をあとにしました。先輩には悪いことをしたなと少し思いましたが、尊い犠牲だと勝手に判断しました。その先輩が今でも退職せずに、適正な賦課を行っていることを願います。